Denyument Saga (プロトタイプ)

桜花(おうか)爛漫(らんまん)咲く時期も過ぎ、緑が生い茂り始め、徐々に桃の色が群青の色に染まる季節。

心地よいそよ風が、春の終わりを告げ、初夏を連想させる。

1年という区切られた季節の中で、またこの時期がやってくる。

「あれから、もう1年か……」

赤みがかった茶色の髪に、ギラギラした目。頬は多少()けていて、渋さを何処となく感じさせており、背丈は成人男性の中で平均的高さ程の男は、煙草に火を点け、口に含んで吐く。煙草の苦味を味わいながら、煙色の空を見上げて呟いた。

 

 今日は雨でも降りそうな天気だ―――

 

 低く若い声音は口の中だけで消え、男は正面の店の中に入る。店の看板にはCafé(カフェ) La() Voir(ヴォワール)と書かれている。

 洋装の整った小奇麗で洒落たカフェであるが、いつからここにあるのか、それを知る者はいないだろう。店の中もさほど大きくはなく、カウンターとその後ろにはテーブルが3個置かれているだけである。

「やぁ、いらっしゃい」

陽気で明るい声が店内に響き渡る。が、男の方は、見るなり「ちっ」と忌々しそうに舌打ちをした。長い金髪を後ろで束ね、完成された美を体現したかのような顔立ちの男が珈琲をカップに注いでいる。

「どうして、お前がここに居る」

 茶髪の男は、カウンターで珈琲を注ぐ男に苛立ち混じりの感情を込めて、問いかける。が、マスターらしき男は、表情一つ変えずにその問いに答えた。

「どうして、とは心外だなぁ。僕は、ここが好きだから居る。ただそれだけだよ」

 付け足すなら、この書物に伝説の最後を記しに来たのさ。何千年も先へ、語り継がれる伝説を、ね。と、クスクスと笑いながら男は言う。

 

 ―――かつて、神様は世界を創造し、人と言う存在を、この下界と呼ばれる台地に根付かせた。

 それは、今へ、そして未来へと語り継がれる伝説の物語。

 伝説を語る書物には【Denyument(デニュメント) Saga(サガ)】と記されている。

 その物語を信じている者は、今の時代には誰一人、存在しないだろう。

 眼には見えないモノを否定し、眼に見えるモノだけを信じる今の時代に、魔法は愚か、魔術なんていう力など存在しない。

 だが、それを信じざるを得ない出来事が起こり、今日(こんにち)に至っている。

 1年前の3月、何の変哲もないこの街で、猟奇的殺人事件が発生する。桜の木下に()てられた死体は、まるでバターのように奇麗(きれい)に、両手、両足、首、胴体にいたるまで、バラバラに切断されていた。この事件を引き起こしたのは、一人の少年だった。

『全ての人々の魂を救済する』いう妄想にとり憑かれた、哀れな少年は、教団の人間によって抹殺される。それから5ヵ月経った頃、『愉しい日々』を望んだ少年の夢を具現化させる、“傀儡子”と呼ばれた男によって引き起こされた、繰り返される一日。

 繰り返される夢と現実の狭間。そして、寒さが身に凍みる12月、神を復活させようとした者と、それを止める者。何千という年月を超え、伝説の物語に終止符が打たれる。当時男は、教会の人間で過ちを犯した一人だ。

 

 所詮、空想だ。と、誰かが言う。

 その通りなのかもしれない。こんな現実を目の当たりにしなければ、おそらく、誰も伝説が真実の物語だろうとは、思いもしなかったであろう。

 

「……それで?伝説の書物ってやつは書き上がったのか?」

 カウンター越しに珈琲を淹れ終えた男は、軽い調子で「もちろん」と言う。

「見せてくれないか?」

「いいとも。では、これを読む前に前置きをしておくけど、この物語に登場する主人公たちには、大いなる抑止力が働いているんだ」

 大いなる……抑止力……?

「そう。大いなる抑止力とは、“神々の力”のことなんだ。……かつて、神様は人を愛し、人と共存していた。しかし、世界を危機に瀕するほどの力を持った存在が産まれ、それがやがては人を滅ぼす力になった時、神様は人に宝剣を授け、邪悪なる者を倒し、世界は平和となった。けれど、人は人と争うばかりの歴史が繰り返された。人の世界に悲観した神は、いつしか天界へと戻った。けれど、神の遣いである天使は地上に残り、世界を見守り続けたんだ。世界は平和になったと思われていただけで、影では闇の者を復活させようと、人を光から闇へ堕とそうとした動きが幾つの時代にもあった。それを、阻止したのが時代の英雄たちなんだ。結局のところ、僕らの歴史には神が後ろ盾になっている歴史が繰り返されていた……ということなんだ」

 神と言う存在、天使と言う神の遣いの存在を聞いても、ピンとは来ない。

「そして、この僕は監視者(Guardian)の名を持つ存在。この世界の行く末を見なくちゃならない。それが、永遠の生を持つ僕の役目でもあるしねぇ……」

 虚空を見つめながら、どこか懐かしむような、哀しむような表情で

「神様は、人を哀しくも見放したけれど、僕は好きなんだよねぇ……」

 と、男は呟く。そこには、慈愛に満ちた感情が篭っているように見えた。

「なぜ、人を見捨てた神が、この地上に居続ける必要がある?だって、人間はこんなにも醜く、希望という眼には見えないものにしがみ付いていないと、生きていけない……愚かな存在じゃないか……」

 そうだね。と、カウンター越しに男は微笑して言う。

「けどね、その希望が、その卑屈さが、人類をここまで成長させたとも言えるんじゃないかな?世界は確かに、普遍で、変革を恐れ、誰しもが毎日、誰かを貶めあっている世界。それが、真実だろう?けど、そんな真実の世界にも、希望はあったと思えば、人類の守護を司る、僕の役目は果たされていると思うんだ」

 永遠の生を持つ、彼にとっての終わり、とは一体何なのだろうか……。

「じゃあ、貴様の終わり……終着点はあるのか?」

「終着点がもしあるとするなら……そこは、人の歴史の終わりを意味する、そう思わないか?」

「人の歴史の終わり……つまり、滅亡が役割を終えるとき。だと言うのか?」

 守護者を名乗った男は「当然だろう?」と言いながら、珈琲をカウンター越しにそっと置く。カシャンと言う、皿特有の音だけが、店内に響き渡った。

 

 長い沈黙のように感じた。そう、まるで時が止まったかのような沈黙だ。

 

「人類が……すべて消え去る日は来るのか……?」

「もちろん。全ての生あるものには始まりがあるならば、終わりもまたあるのは当然だろう?」

 監視者の名を持つ彼は、ふふっと微笑んだ。

「人は、人と争う中で消える種かもしれない。けれど、僕は残したいんだよ。この先、何千、何万と言う時が過ぎようとも、決して風化させたくはない、人間の記録をね」

 彼の眼に、人間はどのように映っていたのか。なぜ、永遠とも言える時の中で世界を視る側で居続けることが出来たのか。その答えが発された瞬間、でもあった。

 彼はスッと本を差し出す。外装はダークブルーでタイトル部分には金の刺繍で【Denyument Saga】と書かれている。ページを捲ると、そこには各章のタイトルとサブタイトルが同様に書かれ、ページは滑らかな材質で造られていた。全体的に、高級感を醸し出している外装だ。

「では、貴様の書いた記録。読ませてもらおう。だが、こんなに分厚いと何か飲み物が欲しいな。……何かないのか?」

 カウンターの男は「汚されたくないんだけどなぁ」とぼやく様に言いながら、紅茶を差し出した。

 

 長い沈黙、ページを捲る音だけがする。読み終えたときには日が暮れていた。

読み終えた男からは「ふぅ」とため息が漏れる。

 それは、長い歴史だ。人が希望を胸に戦い散っていった。そんな様々な時代の希望が現代へと続いてきた。その事実が、胸に重く圧し掛かった気がした。

「……最後の文章、お前の言い回しは実に、皮肉だな」

「フフッ。そうかな?」

 

「邪魔したな」と言って、席を立ち、店の出口へと歩いてゆく。恐らく、もう二度と会う事はないだろう、男の背中に、人類の守護者は「もう、君たちの時代だよ」と言う。

 男は、フッと唇に微かな笑みを浮かべながら店を出てゆく。

 

 それから、何百と言う年月が過ぎた。人は人同士での争いが絶えず、その争いは世界を巻き込んだ大きな戦いとなった。数ある資源を使い果たし、人類の文明は、衰退の一途を辿った。

しかし、人類はそれでも尚、生き続けている。地に根を張り、高く生えている草木のように。

いつか、何処かの地にて―――

「おい、見てみろ」

 白髪で眉、髭も白くなっている初老の男は、地面に落ちている何かを指して言った。その声に続いて、年が近いであろう男が、指差すものを見て言った。

「なんだ、これは……?」

「本……のようだな……」

 初老の男が砂を払うと、外装はダークブルーでタイトル部分には金の刺繍で【Denyument Saga】と書かれた本が出てきた。

「おぉ……」しばらく、感嘆とした声を上げてからやがて、長く閉じられていた本が開かれた。目次部分に当たる部分には、数千年前からの章がずらりと並び、最後の章は、今より数百年前の時代で終わっている。

 

 

長く閉じられた蓋が、開かれる。そして、伝説の物語が始まる。